1月3日
市場前を滑り出したトラムはゆっくりだが確実に街の中心に走っていた。スピードがあがると気持ちが良くなってくるものだ。
ミラノはやはりきれいな街だ。日本人が多いのも理解できる。
はじめてみる風景が窓の外に流れていく。こういう路面電車といえば、広島の市電もかわいくていい乗り物だが、こういうカラーのの街並みにはトラムがいちばんしっくりくるものだ。
ふと、どっから見ても日本人な女の子が3人、一列に無表情に歩いていた。ということは、ドゥオモはこのあたりだろうと思って次のフェルマータで飛び降りた。息子がぴょん!とねこのように降りたのが笑えた。
路地をテキトーに入っていくと、何かフェスタの準備をしていた風なイベントテントがあり、その裏からひょこっとドゥオモ広場に着いた。すんごい人の波が目の前にあった。
イタリアに来てはじめてこんなまとまった数の人間をみた。もちろん外国人観光客だけでなく、地方都市の家族連れもたくさん来ていた。
ハトが何十羽もいくつのかたまりとなって広場のあちこちを移動している。まるで絵にかいたような休日の風景だ。
時間も、ある。
ドゥオモでも見学しようか、と息子にいった。
ドゥオモ。ミラノのシンボルを確認。
緊張感のある薄暗い空間。
初めて東大寺大仏殿に入った小4の頃を思い出した。
中でなにか日本語が聞こえる。ツアーガイドさんがドゥオモについて熱い説明をしていた。ついついツアー客にまぎれこんで大きくうなずくふりをする。悪い癖だ。
屋上にあがることができるらしかった。
上空をみると高い高いドゥオモの尖搭が生き物のようにミラノの空に伸びていた。合間合間に人がたくさん歩いているのが見える。上に上がる手段はなんだろうと思ってぐるっと回ってみる。アシェンソレ(エレベーター)はあそこよ、と看板がたっていた。
ドゥオモの正面玄関からはちょうど裏手の、さながらお勝手の側にそれはあった。
いろいろな家族連れがならんでいる。英語をたくさん話すファミリーにはさまれて、日本人の女の子4人組がきつそうに並んでいた。
急に、だめだなと思った。
息子に「悪い、やめよう。お金がかかりすぎるみたいだ」と言ってその場を立ち去ってしまった。
いま考えればなにを意地っ張りなと思えるのだが、なぜかといえばその理由は並ぶのが面倒臭いだとか金がもったいないではないのだった。アシェンソレで8エウロ、階段でも3エウロくらいはたいした金ではないし、通天閣や台場のフジテレビだってよろこんであがってしまう馬鹿な煙気質の俺だ。高いところは大好きだ。
でもこのドゥオモだけは上に昇る気持ちが消えてしまうのだ。
恐れ多かったのだ。
それがただ景色をながめるだけの展望台にみえなかったのだ。こんな荘厳な建築物に土足であがるなんてできなかったと言えばわかりやすいか。
ともあれ、息子には悪かった。ケチおやじとして永遠におぼえてくれてもかまわないぞ。
ドゥオモからすぐ地下鉄に入り、息子もなれた様子で上手に地下鉄へととび乗った。
カドルナへと進んだ。カドルナでは昨日世話になった案内所のオニイサンがこっちをみてたので手を上げてありがとうのサインを送った。
がらがらのマルペンサエキスプレスはまた何の前触れもなくするっと走り出した。
マルペンサ。
なにやらカウンターが混雑していた。ちょうど色んな日本人の方たちが関西空港行きのチェックインをしているときだった。ここで関心したのは日本人スタッフがぱきぱきと手続きのフォローをしていたのだった。
そのうちのひとりのスタッフに、はやくはやく、こっちですこっち、とせかされてカウンターについた。あ、すんませんマルタ行きなのですが・・。と言うと係の人も思わずずっこけてた。
カウンターのイタリア人が英語で「バッゲージ?」と聞くのだが、なにをトチ狂ったか俺はイタリア語で「ア、マーノ(手荷物、もちこみ)」といってスポーツバッグをひょいともちあげる。すかさず、日本人のスタッフが横から「お荷物は先にマルタに送ったんでしょうか」と聞くのだが、言ってる意味が何だかわからなかったので会話に変な「間」ができてしまう。
「え?ありません」とイタリア人につい日本語で返してしまい苦笑い。
一呼吸置いてから「ノンバガーリョラルトロ」といったらやっと通じた。
俺も含めて全員大笑い。やっと通じた。
言語がごちゃまぜになる状況だと駄目になるんですねえ。あほ丸だしでした。
その後、さっさとぱっぱと出国手続きをすませてヒコーキを待った。
免税店では物凄い数の日本人が物凄い買物をあちこちで連発しているのに遭遇。イケイケっぷりに店員サンも気合入ってました。
どさくさまぎれに今晩使う使い捨てヒゲソリを「1ケ」買った。おい!包装するなって(笑)
べらぼうにアメリカンなピッツェリアでメシを食う。今回は移動が多いのでうまかろうがまずかろうが食えるときにハラにつめこんでおかないといけない。人目もはばからず馬鹿食いし、ゲップもそこそこ階段を下り、ヒコーキのゲートに向かう。
左のゲートがマルタ行き、右が大阪行きだ。左寄りの待合イスに落ち着いていると、あとからあとから大阪行きの客がそのへんで腰をおろしはじめる。周囲のマルタ行きの人達ががたまらずに「あっちだ、あっち!おまえはあっち!」といわんばかりにこっちをジロジロみる。まぎらわしくて申し訳ない(笑)
ヒコーキは両方ともほぼ同時刻だった。マルタ行きはやたらめったら家族連れが多かった。俺もだが(笑)
マルタ行きの人々の会話は英語とイタリア語と半々くらいだった。今日は土曜日。ミラノから一泊旅行ていう人もいるのか。
ゲートからバスに乗り込む。なんだ、東洋人はウチだけだった。
マルタ行きのヒコーキが見えた。うーむ想像どおりだ。小さい(笑)
いちばん最後に乗り込む。機内の雰囲気がすごく生活臭い(笑)。まるで日曜夕方の特急かいじ号のようである。
しかも満席なので息子とは通路をはさんで離れ小島だ。息子の左には赤ちゃん連れの夫婦がいた。息子には赤ちゃんが飽きたらあそんであげるように告げ、マルタまで2時間はちょっとだけうたた寝することにした。
軽い機内食。マルペンサでバカ食いした息子はもう食えんと白旗。ロールサンドとビスコッティをささっと包んでバッグにしまう。息子はプロシュットとフォルマッジオをもぐもぐしてスッカラランチャで流し込んでいた。
空が荒れている。機内でいただいたコリエレしんぶんでは南部とシチリアの予報は雨。とするとマルタも雨。ああ、仕方ねえな。傘、どこにしまったけかな?
おもったより時間がたくさん過ぎたような気がした。あまり寝られなかったし、外が見えないからなおさらだ。
着陸だ。すんげえ急ブレーキ(笑)
外は不思議と雨が上がっていた。おびただしい水たまりがあちらこちらにあった。作業機械が派手な水しぶきをあげて場内を疾走していた。
それにしても、みんなすげえ荷物だなあ。上の荷物棚がフルオープンになるとそれはそれは壮観だ。いろんなものがはみだしていたり、手提げバッグ(おいおい手薄だな!)の中身をぶちまけたりしている。
こちとら通路っばた、荷物もスポーツバッグ一個だけなのでとっととでてしまおう。
マルタ・ルア国際空港の土を踏む。思いの他空気があたたかく、空は若干クリーム色になっていた。
空港建物がちいさくてかわいかった。長崎空港みたいだった。
入国審査もあっけなく済んだ。フツーのおばちゃんがやっていたので行きつけの銭湯「松の湯」の番台と錯覚しそうになった。
夕方にさしかかる頃だったがだんだん空がくらくなっている。宿はあるだろうが、どの街でとまろうか。ちょっとワクワクしながら両替をすませてバス乗り場へと歩いた。
バスはこなかった。かわりに入れ替わりたち代わりに送迎のくるまがやってきた。やたらめったら日本車が多い。
右ハンドルだ。ちょっと驚き。
20分経過してもバスが来なかった。息子がカラダをなまらせてたのか急にボールをとりだしてリフティングをはじめながらどこかに歩いていった。
空は完全に夕闇に包まれた。月が出ていた。
バスが来た。客は俺らと他3人。
料金はわからないので1マルタリラ玉1ケを運転手の手にのせると、ひい、ふう、みい、と数えながらレシートと一緒におつりをくれた。
後ろの席に陣取り、金をかぞえる。75セント?
慌ててレシートを見る。
おとな15.00、こども10.00
100セント、つまり1マルタリラで当日のレートが300円である。つまりオトナ45円コドモ30円。
なんて安い交通機関なんだ(笑)。
暗闇の中、バスが疾走する。なんだか古い市街地の狭い路地をくねくねと曲がったり石壁にこすりそうになりながらいく。街灯がほとんどないので風景がわからない。
息子は寝てしまった。移動ばかりで疲れたのだろうか。
途中に地元民がどかどかと乗って来る。
おばちゃんたちの交わす言葉を聞いてちょっとドキっとした。
わからない。
イタリア語でもなく英語でもない。フランス語とも似つかない。
これがマルテーセ(マルタ語)か!
俺もやや眠くなりかけたとき、バスは海っぺりの大通りを走っていた。
前方にライトアップされた石のゲートが見えた。
あれがヴァレッタか。
バスはここで停まった。
なんかロータリーぽいところに何十台もバスが止まってるのが見えたが、すごく暗いので全容がわからなかった。
半眠りの息子を連れて、どこにいこうか迷う。
スリーマかサンジュリアンが一番の繁華街だとモノの本にはあったのでそこ行きのバスを・・・と思ったのだが、わからない。バスも番号表示だけなのでどれがどれだかさっぱりわからない。息子は完全にねむたそうだった。
ヴァレッタで泊まるか。
シティ・ゲートをくぐり、雨でずぶぬれのヴァレッタの街に入った。インフォメーションは閉まっていた。
途方にくれながらも、なんとなくこの辺になにかあるだろう、いやあると思わないと。なんてへんな片意地を張りながら前に前に歩いていく。
何から何まで石でできたの街をとぼとぼ歩いていくと、ふと
BED&BREAKFAST
という看板が。
看板には
GUESTHOUSE ASTY
あ、あった。宿である。
半空きになったドアをあけてるとそこにはオバチャンが立っていた。
あの、お部屋、あるでしょうか?
と、不得意なエーゴで話し掛ける。
オバチャンは申し訳なさそうに
「ないの」と返事した。
じゃ、失礼します。ソーリー。
と、出ようとしたらオバチャンが来て
「この階段を降りきったところにMIDLANDという宿があるから、そこに行ってみれば」と指差しておしえてくれた。
坂から石の階段に道がかわる。確かにここからでもわかる。なにかある。
オバチャンありがとう。
つるつるすべるアブナイ石段を降りきると、あった。
GUEST HOUSE MIDLAND
こんどはドアのすぐ奥ににおじちゃんが座っていた。こちらを見て一瞬ドキッとしてたので、すぐさま俺はさっきとおなじように言った。
あの、お部屋、あるでしょうか?
おじちゃんはいきなりニコニコして、「OK」と言った。おばあちゃんが出てきた。
部屋は2晩で24マルタリラでいいよという。
朝飯もあるという。
もちろん、二つ返事だ。
息子は半分寝ていた。
支払いが済むと、デカイ鍵をわたされた。4階の部屋らしい。
途中、トイレやらシャワーやらが踊り場にあった。良く聞いてなかったがこれらは部屋にはないのだなきっと。
デカイ鍵でドアを開ける。
驚いた。
すごくキレイなへやだ。
天井にはプロペラの扇風機がゆっくりと回っていた。
この部屋で2晩24マルタリラ?
息子は自分の荷物をさっさとかたずけると、とっととベットにもぐりこんでしまう。
俺はゆっくりと荷物を整理して、明日のことは明日決めるかーと寝に入る。
天井のプロペラにはさかなの造形物が根元にくっついていた。
あー、ここはマルタなんだな。
ゆっくりと寝に入った。時間は不明。
(2004/1/3)





