1月3日
目がさめた。
半開けにしていたブラインドから見えるお外の風景は、寝る前とまったく変わってなかった。
いま、何時?
ふと時計かわりに携帯電話を見た(もちろん日本で使ってる奴なので通話不能だが)、時計は11時45分を指していた。
え?夜?
ぼけていた。自分のいるところを理解していないのでいまの状況がまったくつかめなくて混乱していた。
ゆっくり考える。
つまり日本時間で11時45分ということで、ミラノではマイナス8時間となる。午前3時45分ということだ、気が付くのが遅い・・・・。
もったいない気持ちになり、「二度寝」を実行しようとした。非常にのどが乾いていたのでレーゾーコにあるミネラルウォーター(2.5エウロ)をひっかき出してごくごくと呑む。
うぇ!
・・・炭酸入りだった。まずい。
むかついてビンをじっとにらむとラベルには「ナトゥラーレ」と書いていなく「フリッツァーレ」と書いてあった。こん畜生!
また眠りについた。こんどは朝日で目がさめるだろう・・・・
・・・・・。
ばっと目がさめた。
まだ外は暗い、こんどは何時だ?
2時59分???
こんどはさっきよりも混乱した。
マイナス8時間としても6時59分。
しかしお外の風景はまったくおんなじだった。
目の前の団地はオレンジ色の街灯をぼんやりともしたまま。そのうえどこの窓も灯かりついてない。路上には、人ひとり、いやねこ一匹すら歩いていない。
街は静かだ。車もぜんぜん通らない。
自分以外の世界が止まってしまった、まるでSF映画のような状態に冷や汗が出た。どうなってんだ!
TVだ。
そうだ、TVをつけよう。
SAMSUN電子のこざっぱりしたTVをつけた。
時刻表示は7時03分。
テレジョルナリ(TVニュース)をちょうど放映していた。
ちょっと安心。俺はやっぱりTVっ子だ。
イラン災害救済に向かうイタリア軍の記事
パルマラットのタンツィ会長タイホ続報の記事
天気が悪く南部での水害が深刻になった記事
カルチョメルカートその後の記事(ナカタ中心の映像ってのがそそった)
を、繰り返し放送している。生放送じゃないね?
しばらくして息子が起きる。
「まだ夜だ、夜!」とくやしそうにいう。
・・・が?俺も思ったがこのお外の光景はなんなんだろう?
時刻は7時40分になった。だのにまだ街は闇の中だった。
息子に、先にシャワーを浴びるように言った。
もういちど気持ちを整理して外を見た。
気もち、外が明るくなったような気がした。
息子が「あ!夜明けだ!」と叫んだ。
確かに。
息子がシャワーしている間、荷物を整理した。
息子に代わってシャワーを浴びる。
この時、やっと朝らしい風景になっていた。
午前8時15分。チェックアウト。
これから市場に行きます。といったら「ここから5分も歩けばつくよ、何か買うの?」とフロントマンに聞かれた。
いや、ココを「見る」為に東京からミラノに来たんだ。と返事したら、なんか不思議そうにしていたので、すぐさま「東京の市場」からきたんだ。
と言ったら納得していた。
外にでた。ミラノのふつうに人が住む街の風景だ。7年前に初めて来たローマの住宅街の風景をやや思い出したが、あそことは違って若干きちんとした街だと感じた。車がちゃんとならんで停めてあったり、オバチャンが門の前でさささと掃き掃除してたりしていたからだろうか。
だんだん通りが広くなる。市場が近いと思った。案の定、カミオンが何台か路駐してるので雰囲気を感じた。
はっとした。
市場の「ニオイ」がしている。
野菜とも果物ともくさったゴミとも排気ガスともなんともいえぬ現場のニオイ。これは東京もミラノもおんなじだ。
大通りをまたぎ、守衛サンのいる小屋を覗く。
東京の市場から来ました、見学させていただけないでしょうか?とご挨拶をする。
守衛さんは、申し訳なさそうに「ノン!」と制止した。すぐさま右横の案内板を指差して、「あと30分、それまで入るべからずなのだ」と説明した。その間、車が何台かゲートの踏み切りを通っていく。なにかIDカードのようなものを機械にいれてチェックインしていた。
アフリカ人がたまねぎをいっぱいつめこんだずた袋をしょいながら中から出ていった。守衛サンは手をあげていたのであれは業者か。
キタナイ自転車に乗ったおじいさんがよろよろと中に入っていった。守衛サンは「おす!きょうも元気か!」と声をかけていた。あれも業者か。
寒くなったので襟を立てて、さっきの看板をみた。
確かに。
「指定業者以外の入場を禁ズ。しかし、土曜日の朝9時から12時までは一般の人の入場が可能。」
へいへい。
そうこうしていると、大通りからぞろぞろと人が集まってくる。
気が付けば守衛サンはおじいさんと立ち話をしている。常連サンか。
おじいさんはこちらを見るなり、守衛サンに何か聞いていた。トーキョーどうのこうの、とか返事をしていた。おお!なんだいそりゃ!ともいうようなそぶりをしていた。愛嬌たっぷりなおじいさんだ。
俺はたまらず、おじいさんに「あとすこし待つでしょうか?」とわざとらしく話し掛けた。
おじいさんはびっくりした様子だったが、息子をみるなり「何歳だ?」と質問をはじめた。ここから延々とQ&Aが続いた。
東京はバカンスか?
ナターレはどうすんだ?
坊主の学校はいつからだ?
東京の市場はもっとでかいのか?
ミラノは寒いか?
まだまだおじいさんのトークが続く。
俺の孫と同じか!何年生だ?おお!5年か!じゃミラノと同じグレードだな。
おまえ若いな!ジャポネは年がわかんねえよな!オンナのコもそうなんだよな!
守衛サンがフライングして入りそうなオバチャンを制止していた。まだまだ人は集まってくる、100人はいただろうか。東洋人が10人くらいいた。顔つきからすると大陸系だな。おじいさんとのトークを丸聞きしてて、たぶんこっちが日人だろうと察したのか、ちょっと目をそらせるそぶりをした。仲間うちでしゃべる言葉を聞くとハングクでもなさそうだ。
ちょっとした中文が俺の口からでたらまた何かかわるんだろうな、ハングルマルなら多少はいけるんだがなぁ、と残念がってると、守衛サンのところに一発電話が入ったようだった。
守衛サンが合図した。100人がいっせいに入場する。
雨上がりで現場は空の色を反射していた。
フォークリフトが何台か爆走しているその向こうから「売り子」がいっせいに叫んでいた。
俺は遠目からかたっぱしにチェックをいれる。
品物は高く高く積んである。紙で「指し値」が振ってある。売り子は人をみるなり「ぶどう!ぶどう!シチリア産!」「サツマ!サツマ!種無し!」「これ!これ!これ!6エウロでいいよ!6エウロ!」と売り声を向けた。ちなみにサツマは「みかん」のこと。(葉付きで小型の手でむけるみかんの品名で、7年前にリミニの市場で初めてその名前を知った。)
さぁ、雰囲気がでてきたぞ!一回りして相場をチェックしたらもう一回ココに来ていろいろ聞いてみるか。
一回りしようとはじから順番に歩くが、その規模のデカさには正直腰をぬかした。
俺の職場の現場も関東を代表する拠点市場としての規模なのでかなり広いのだが、ココはウチの現場を3つつなげたくらいの「屋根下」がなんと4つもあり、中の十字路にむかって両側に軒を連ねる業者が各屋根下に40から50軒!
これは「東洋NO1」の東京中央市場・大田市場の土間にも匹敵する。
青果卸売市場として、EUへの窓口となるミラノ市場。さすがだ。7年前にお邪魔したローマの中央市場とはケタがちがう。
まぁ、東京の場合は大田も含め、ウチくらいの市場が築地や千住や豊島や淀橋など7つくらい都内に分散しているので総合的に判断したらどうかと思うが。ただひたすらデカイのには驚く。
息子に「歩くぞ!覚悟しろよ!」と気合を入れる。息子はまんざらでもないようだ。
野菜の方は、土物、葉物、トマトなどのなりものなど業者によって専門分野があるようだった。果物はだいたい同じで規模の大小だけが違う感じだった。輸入はドールの専門業者が入っていた。
歩く通りによってそれぞれ業者のカラーが違う。また、その業者の力関係もみえてくる。羽振りのよい業者は裏口からまだドカドカとカミオンに荷だししている。いそがしそうだ。
カミオンは北欧の言葉らしき文字が書いてある。基本的には雪が降るような地方は作物がまったく取れないので野菜果物はひととおりセットにして送るようだ。東京の市場が旭川に送る「北送り」とあんばいは一緒なんだな、なるほどねぇ。
逆に景気の悪そうな業者は人目でわかる。
店の雰囲気と売り子のツラで判断は可能だ。これも東京とおんなじだ。しょぼくれ具合もなんか知り合いの業者そっくりでおかしかった。
さっきの大陸の方々がたくさん集合していた業者を発見。
品物をみて納得。ちんげん菜、そして長っぽそいけど白菜が積んである。ていうことはこの国には珍しくない中華料理屋の仕入担当だな。こういう食材は街市場やCOOPじゃ買えないだろうしなぁ。
ココは土曜のみ一般公開とするのは市民サービスの一環か?とふと考えた。
だとすると、今ココに残ってるのは一部を除いて週末の「やっつけ商材」ということになるな。一般向けとは言え販売は箱単位だ。なくなりゃいいんだろうな、などど推測してみる。
時間も過ぎてくると、買い側のスピードも緩む。
だいたい買い物にひと段落ついてくるようだ。
逆に売り子のモードも変わる。「ぶったたき」か「店じまい」か、店によって人の動きが若干ばらついてくる。
はじめにチェックをいれた業者の場所に戻る。
ここは案の定「勝ち組」だ。あれだけあった山がみごとに片付いている。残っているのはくさらない「かわきもの(=じゃがいも・玉ねぎ)と日持ちのするかんきつ類くらいだ。
売り子も余裕ブッコいて立ち話に興じたりじゃれあったりしている。
売り子の中で一番格上そうなオニイサンに当たりをつけてちょっと聞いてみる。
「東京の市場から来たんだけど、休暇で来たんだけど、ちょっとしつれいしてもいいでしょうか?」
と言った。
オニイサンはそっけなく「どうぞ」と言う。
やはり格上間違いなしだ。この落ち着き振り。
「葉物の相場、ちょっと高いような気がするんだけど、情勢はいかがでしょうか?」と聞いた。
オニイサンは「高い?」とちょっと怪訝そうな顔をしたが、「ああ、今年ね、雨だよ、雨!」「全部の(産地の出荷量の?)半分だよ、半分!」と説明してくれた。
すかさず次の質問だ。
「なりもの(トマト・ナス)は、この時期はどこの産地があるの?東京じゃ南の地方から暖房つきのハウスものでまかなってるけど・・・」と聞いた。
「トマト?ああシチリアね、あとサルディニャだ。」「ハウスは雨があたらないやつ(つまり無加温?)でやってるけど、雨が多いから(=日照がないから?)、色が悪い。ただコレはちがうけど。
コレといって指差したのは「PACCHINO」の中玉トマトだった。これは料理雑誌で俺もチェック済みで存在は知っていたのだがまじかで見たのはこれが初めてだ。
「他のトマトとは違う」
「なるほど、じゃ、いくらしてんの?」と聞くと
「18エウロ」(=3.6KG箱)
確かに。東京までとはいかないが。
青ざめてしかも水分を吸いすぎてケツ割れを起こしているとなりのトマトの4倍はしている。
冬は基本的にトマトも品薄なんだね。納得。
「ナスは?」
「スパーニャ」と一言。
そうか、輸入だ。「じゃ、他に(輸入のもの)は?」
「いちごと・・・オレンジもスパ−ニャだ」
なるほど。
オニイサンの携帯が鳴る。
バスタ。
トークもここまでだ。
息子がひとこと
「おれ、ハラ減った」
そうかそうか、夜飯なかったもんな。
きりがいいのでここでメルカート・グランデとはオサラバすることにしよう。
楽しかった。来て正解だ。
自分と同じ仕事をこんなはなれた西洋で見学するってのはめったにない勉強のチャンスだし、なによりもいい刺激にもなる。次の仕事のヒントも見えてくる。
さて、場内にBARが3軒ばかしあった。メシ屋もあるし銀行も床屋もなんでも有る。でもあえて場外にある、通りをはさんだ一軒のBARの方に行って見ることにした。業者が常用する場内の店というは相当洗練されてると思うだろうが、閉鎖空間で有るがゆえに「はずれ」もあるのがこの業界の常識だから。
通りをまたぎ、BARにはいると、案の定だ。耳にペンをはさんだ業者がごろごろいた。
そんなムードの店内、どっからみてもストラニエリ(ガイジン)な親子が子連れでいきなりはいってもオヤジは全然驚きもせずに
「ブオンジョルノ」。
「カフェ1杯、カプチーノ1杯、それから・・・」とブリオッシュの山に目を走らせると店の親父も「それから・・・?」と息子に手招きしてブリオッシュを見せる。できた親父だ。
息子は流れ星の形をしたナターレ仕様のブリオッシュを指さした。すかさずオヤジに「それから・・・ナターレ!、っとショコラータ!」とわかったように注文する。いろんな色のトッピングを親父はふりかけてくれた。ありがとう。
市場のわきの「ダベり」の殿堂らしく、15人ぐらいのオヤジ達がみんなどっかりと席に腰をおろして落ち着いていた。しかし駅前BARみたいにいちいち席料などとらない。いい店だ。
たぶん市場も土曜なので仕事も昼で終了なんだろうか。
店ではラヂオでインテルがあーしたこーしたとよくわかんないニュースを流していた。
ふとカウンターの上を流し見してみるとインテルのペナント?がかけてあった。
さあ、マルペンサにまた戻らなければ。
マルタ行きのヒコーキが2時なので、1時までにはチェックしたほうが良かろう。
BARのオヤジにサヨナラしたあと、目の前にトラムの降り返し場とフェルマータがあった。
市場のゴミがちらばったフェルマータから、行き先を確認してからトラムに乗りこんだ。
1分後、何の合図もなくトラムは滑り出した。
(2004/1/3)





